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カレンダーの起源・由来を解説|30日と31日がある理由は?
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カレンダーの起源・由来

カレンダーの起源・由来を解説|30日と31日がある理由は?

コラム 前田健太

お世話になります。

WEBライターの前田です。

我らがWriter’s Nestのサイトへの検索流入を調べてみると、「カレンダー かわいい」などがとても多い様です。ねるこ先生の作るカレンダーはかわいいので大人気です。やはりかわいいというのは正義なのですね。

僕はかわいいカレンダーなどはとても作れませんが、ねるこ先生にあやかってWEBライターとしてカレンダーを歴史的観点から考えてみようと思いました。

  • なんで30日だったり31日だったりするの?
  • なんでカレンダーっていうの?
  • 曜日ってなんであるの?

カレンダーについて考えていたら色んな疑問が生まれて来たので、ひとつずつ紐解いていきたいと思います。



月や太陽の動きから編み出されたカレンダー

カレンダーが発明された背景には、農耕のための気候や川の氾濫のタイミングを読むためなどがありますが、現在の形にいたるまでに昔の偉い王様や政治家の思惑によって調整されてきたという科学・政治・宗教などがからんでいることがわかりました。

そこにいたるまでに、まずは「太陰暦」「太陽太陰暦」そして「太陽暦」について解説していきます。

月を見れば日付がわかる「太陰暦」

人々が暦を利用し始めたのは、メソポタミア文明でした。

月を眺めていると、日によってなんだか形が違っていることに気づき、しかもそれが一定の周期を経ることで元に戻るということを発見しました。

農耕社会では季節や川の氾濫の周期を知るためには暦を知ることは何よりも重要であったため、月の満ち欠けは目に見える形で人々に暦を教えてくれるツールでした。

こうして月によって暦を知ることを「太陰暦」と言い、ヨーロッパやアジアでもこの太陰暦が採用されていました。

太陰暦の特徴としては、以下の様なものがあります。

  • 1太陰年は354.36707日
  • 8年で3か月分ほどずれていく
  • イスラム教社会では「ヒジュラ暦」として使われている

現代のカレンダーと比べると、ややこしい数え方ではありますが、「月の形」という共通認識の上で成り立っている太陰暦は、時間を正確にはかることができない社会では大変合理的ともいえます。

しかしやはり、現代の感覚からいくと同じ1月1日でも冬だったり夏だったりしてしまうのは大変不便に感じてしまいます。

太陰暦のズレを太陽の動きで修正「太陽太陰暦」

月の形を見ることによって暦がわかる画期的な太陰暦ですが、やはり季節がずれてしまっりするのは不都合があります。そこで太陽の動きと合わせて考える「太陰太陽暦」という暦が発明されました。

月の満ち欠けだけで判断するのではなく、太陽の動きも合わせて考えることによってより正確に暦を数えることができるようになりました。

現在のカレンダーでも2月は本来28日までですが、4年に1回の閏日が挿入されることによってそのズレを修正する「うるう年」を設けました。

中国や日本でもこの太陽太陰暦が採用されていたことがありますが、「旧暦」は江戸時代が始まるころまで使われていた天保暦のことを指すことが多く、この天保暦というのがまさに太陽太陰暦のひとつとして編み出されたものでした。

しかしやはり太陽太陰暦も完璧ではなく、日本で太陽太陰暦が採用されてから現在のカレンダーと同じ暦になるまで2日間の誤差が生じていたようです。

高度な技術が必要だがとても正確な「太陽暦」

エジプトでは太陽の公転周期をそのままはかる「太陽暦」が採用されていました。

太陽暦の運行状況を完璧にはかることはとても難しく、月の満ち欠けを基準にする太陰暦の方が当時の人々にとっては手軽でわかりやすいカレンダーだったはずです。

しかし、エジプトの人たちは太陽の長い周期を読み取り、現在でも続くほぼ完ぺきなカレンダーを完成させていたのです。

というのも、ピラミッドなどの建築物は、太陽のつくる影によって正確な日や時間がわかるように作られていると考えられています。他にも様々な建築物のちょっとした穴や窪みが、実は日時計であったというような発見も多くあります。

一年中日差しの強いエジプトならではの技術かも知れませんが、当時の人たちの知恵には驚かされるものがあります。

ひと月は30日か31日か|政治のために英雄により生み出された「ユリウス暦」

現代のカレンダーでもそうですが、ひと月が30日の月もあれば31日の月もあります。しかも特に規則があるわけでもなく、何故このようなややこしいことになってしまったのでしょうか。

それには、ローマの英雄カエサルが深く関わっていました。

政治に利用されるカレンダー

古代ローマでは、太陽太陰暦のひとつであるローマ暦が採用されていました。しかしローマ暦も、1年に月が10月までしかないなど、きちんと一周しない暦でした。

その頃のローマでは共和制が進んでおり、政治的な活動が活発になっていました。コンスルという最高執行官の座をかけて様々な謀略が巡り、時には暗殺なども行われていました。

そのような中、カレンダーに関してはローマ暦で生じてしまうズレを調整するために「閏月」を神官などが定めることとされていました。

賄賂などを受け取り、コンスルとして在籍できる任期を延ばしたり、逆に政敵に陥れるために短くするなど、政治的な思惑をもって恣意的に閏月が操作されることもあったようです。

独裁官カエサルによるカレンダー修正

そんな腐敗したカレンダー事情にメスを入れたのがあの有名な英雄ユリウス・カエサルです。

彼が元老院やポンペイウスを倒し独裁官になったころ、政治に利用されて長くされたり短くされたりしていた暦は実際の季節とは約3か月もずれてしまっていました。

長く使われていたこれまでのローマ暦をただすのはかなりの労力が必要と思われますが、奇跡的にもカエサルの恋人はエジプト人のクレオパトラです。

実際のところそれが関係あるかはわかりませんが、エジプトとの親交が深いカエサルはすぐにエジプトで使われているほぼずれのない太陽暦を採用することができました。

そして紀元前45年1月1日から始まるカレンダーを「ユリウス暦」としたのです。

規則正しいはずだった「大の月」と「小の月」

また、一年の365日を12月の中でどう振り分けるのかもカエサルによって決定されました。最初に決められたのは、以下の通りでした。

それまで使われていた太陽太陰暦であるヌマ暦の名残から、2月は1日分少なくなっています。

1月31日
2月29日(うるう年には30日)
3月31日
4月30日
5月31日
6月30日
7月31日
8月30日
9月31日
10月30日
11月31日
12月30日

このように、奇数月と偶数月で規則正しく30日と31日が並んでおり、31日の月は「大の月」、30日の月は「小の月」という風に呼ばれていたのです。

不規則になったのはアウグストゥスのせい

ユリウス暦が採用された翌年、カエサルは無念にも盟友ブルータスに暗殺されてしまいます。

ユリウス暦はカエサルの死後も使い続けられることにはなりましたが、誰がどうミスをしてしまったのか、なんと4年に1度のうるう年が何故か3年に1度と間違えて運用されていたというのです。

それを修正したのが後にローマ皇帝となったアウグストゥスで、8年間限定でうるう年をなくすなどの微調整をしました。

そこまでは良かったのですが、自分の誕生月である8月が「小の月」とされているのが気に食わなかったらしく、勝手に8月を大の月、つまり31日間にしてしまいました。そのせいで7月と8月は大の月が連続することとなり、そこからまた交互に大の月と小の月が続くようになったのです。

また、自分の誕生月であるからということで、8月を「Augustus」という名前にしてしまい現在のAugustとなりました。

その後何千年も続くカレンダーに自分の名前を入れたり、よくわからない理由で勝手にひと月の日数を変えてしまうなんてはた迷惑な皇帝ですね。

現代でも使われているカレンダー|宗教のために生まれた「グレゴリオ暦」

現在使われているカレンダーは、16世紀後半から始まった「グレゴリオ暦」というカレンダーです。

これだけ技術が発達した今でも特に不自由なく機能している非常に精度の高いカレンダーと言えますが、実はその成立の裏側には宗教的な行事が関わっていました。

キリスト復活祭のための新たなカレンダー

ユリウス暦は当時のカレンダーとしては非常に高い精度を誇っていました。しかし、厳密に言うとユリウス暦での太陽の運行周期は、0.0078日分(約11分15秒)長いのです。

よって、約128年で1日分の誤差が生じてしまうということで、ユリウス暦が採用されてから千年以上の時を経てユリウス暦が見直されることとなりました。

というのも、キリストの復活祭を行う春分日が、蓄積された誤差のために10日もズレてしまっていたため、各地で復活祭をいつ行うかという点で統制が取れていませんでした。

そのため、新たな暦の制定が持ち上がったのです。

そしてさらなる計算の上、グレゴリオ暦が定められました。このグレゴリオ暦は現代でも使われているカレンダーとなり、現時点では最も正確なカレンダーとされています。

それでもやはりある程度の誤差は免れず、グレゴリオ暦が導入された1582年から3221年後に1日ずれてしまうのだそうです。

ユリウス暦とグレゴリオ暦の戦い|クリスマスはいつ?

グレゴリオ暦が定められた16世紀ごろには、キリスト教の宗派も様々なものに枝分かれしていました。11世紀には東西教会大分裂という事件が起こってローマとギリシャで分かれてしまいましたし、宗教改革でローマカトリックとプロテスタントに分かれてしまいました。

このグレゴリオ暦はローマカトリック教会のグレゴリウス13世という人物が定めた暦でした。そのため、他の枝分かれしてしまった宗派はローマカトリックが勝手に決めたことに従うものかと反発していました。

しかし内容としてはユリウス暦よりも正確で日付が春分の日がずれることなく、キリストの復活祭を祝うことができるというメリットにおいては間違いありません。なのでプロテスタント諸国への浸透は早かったと言います。

 

しかし、長年の因縁の相手であるギリシア正教会はそう一筋縄ではいきません。実は正教会の一部ではいまだにユリウス暦を使用しています。

中でもロシア正教会はロシア全土に影響力のある教会で、20世紀に入ってからもユリウス暦を使っていました。そのため、ロシアという国の中でも重要な「10月革命」という事件は、グレゴリオ暦で言うところの11月に起きた事件なのです。

 

また、キリスト教の中でも重要な降誕祭、いわゆるクリスマスはユリウス暦では翌年の1月7日となっています。グレゴリオ暦上のクリスマスの時期に合わせて海外旅行をしても、ユリウス暦を採用している地域ではもしかしたら12月25日は特に何もないということもあるかも知れません。

ウクライナの教会でもユリウス暦が強い影響を持っていましたが、現在では「12月25日と1月7日の両方を祝日とし、盛大にクリスマスパーティをする」ということになっているそうです。

財政難のために日本で導入されたグレゴリオ暦

日本でグレゴリオ暦が採用されたのは1872年のことで、明治6年のことでした。

しかし、改暦について発表されたのが明治6年の11月だったとのことで、すでに翌年のカレンダーを制作してしまっていた印刷業者などからは話が急すぎるだろうと非難轟々だったそうです。

それでも政府がなお改暦を推し進めたのには、日本政府の財政難に理由がありました。

当時日本では旧暦を採用していたため、1年の中には13か月ありました。しかし、現在ヨーロッパで使われているグレゴリオ暦を採用すれば、12か月に短縮されるので官僚たちへの給料の支払いを1月分免れることができると考えたのです。

実際それが功を奏したのかについてまではわかりませんが、あの福沢諭吉も『改暦論』という本を出版して改暦の正当性を説くなどして援護していた様です。

カレンダーの語源は「帳簿」

カレンダーは何故「カレンダー」と呼ぶようになったのでしょうか。

英語では「calendar」と書きますが、英語も多くはラテン語から派生しており、どうやらカレンダーという言葉は元々は「calendarium = 帳簿」という言葉からきているようです。

現在で言えばカレンダーと帳簿は全くの別モノではありますが、当時のローマでは税金を払ったり、借金を清算したりする日を月初めに定めており、「帳簿を更新する日」を「calendae」と呼んでいたそうです。

「次のカレンダエって何日後だっけ?」

「わかりにくいよね。カレンダエがいつ来るのか一目でわかる表を作ってみたよ」

「もうその表自体がカレンダエって名前で良くない?」

あくまで想像ですが、こんな会話を繰り返しているうちに、暦そのもののことをカレンダエと呼ぶようになり、英語では「calender = カレンダー」と呼ぶようになったのです。

4,000年以上の歴史を持つ「曜日」の概念

現在世界で普及しているカレンダーには日曜日から土曜日までの曜日が振り分けられています。

当然のように刻まれているこの曜日という概念は一体どこからきたのでしょうか。

古代バビロニア「七曜」の神々

紀元前2,000年前にメソポタミア文明のひとつとして栄えた古代バビロニアという国で作られた粘土板に、7つの神様についての記載がありました。

太陽神、月神、火神、水神、木神、金神、土神と、様々なものに神が宿っているとされていました。

メソポタミアの神話はギリシャ神話などと違ってあまり現在まで浸透しているわけではありませんが、例えば金神とされているのは「イシュタル」という女神で、中には『ギルガメシュ叙事詩』などで目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

日→土の順番はこうして決まった|「プラネタリーアワー説」

古代バビロニアで考えられていた七曜の神については、エジプトやローマにも広く浸透していました。

そしてエジプトやローマでは、それら7人の神が1時間ごとに神が交代で守護してくれるという「プラネタリーアワー」という考え方がありました。そして1日の一番初めの1時間を担当する神がその日一日を支配していると考えられていました。

天体の動きから惑星は地球から近い順番に「土・木・火・日・金・水・月」であると考えられていました。その順番に、1時間ごとに神々が代わる代わる守護してくれるのです。

そしてその中でも、1日の初めの1時間を守護する神がその1日でメインの神となるのだそうです。

このメインの神の周期を並べると、24時間で一周するために3つずつズレていき、現在のような「日・月・火・水・木・金・土」という順番になったのです。

こういった流れが『ローマ史』という歴史書に記されておりますが、実は真偽のほどはわかっていません。曜日の起源をバビロニアとするかエジプトとするかローマとするかについては様々な説がある様です。

日本でも浸透した曜日の概念|中国から伝わった『宿曜経』

西洋の様々な考え方や技術が日本に入ってきたのは鎖国が解かれてからなので、曜日の概念なんて日本にはなかったのではないかと思われがちですが、実は日本では平安時代(794年ごろ)から一度も間違うことなく正確に曜日が刻まれているのです。

というのも、弘法大師(別名:空海)というお坊さんが当時の中国である唐という国に渡ったときに、一冊の本を持って帰ってきました。メソポタミアで考え出されたものがインドや中国を経てまとめられた「七曜の神が宿る教え」という意味の『宿曜経』という本です。

こういった海外の宗教などは当時は密教として煙たがられていたのですが、この七曜に関しては何故だか貴族の間でもよく使われていたようで、そのおかげで日本でも曜日の概念は長く浸透していた様です。


まとめ

  • 月の形を読む「太陰暦」や太陽の動きを読む「太陽暦」がカレンダーの元祖
  • カエサルとアウグストゥスによってひと月に30日か31日かが決められた
  • キリスト教のお祭りを正しく行うために作られたグレゴリオ暦が現在のカレンダー
  • カレンダーの語源は「帳簿」という意味の「calendarium」から
  • 曜日の概念は古代メソポタミアの神々と地球の周りをまわる惑星に由来している

ねるこ先生のカレンダーの人気に対する嫉妬から、カレンダーそのものについて深く掘り下げてみました。

意外と歴史の中でもいろんなエピソードや、有名な歴史上の人物も登場してとても興味深いところまで知ることができました。

発明されたきっかけや歴史を知ると、身近なものでも少し見方が変わりますよね。僕もこれからは「今月は6月だから『小の月』かぁ」という風に時々思い出すとことにします。

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